
今日は父と一緒に、母が入院している病院に行きました。
普段は自分しか行かないのですが、新型コロナウイルスの感染状況が落ち着いてきたことにより面会が緩和されたため、今のうちにと思い予約を取って父と母を会わせることにしました。
母が脳梗塞になったのが平成30年の1月で、それがもとで持っていた認知症が悪化して併発し、2月に今の病院に転院したので、入院してから3年以上になります。
その間、新型コロナウイルスが流行して、病院での面会ができなくなり、母の姿を見れたのは、流行が一時収まった期間に2度閉鎖病棟よ入口のガラス越しで、そのときの母は、もう廃人同様で、私のことはもちろんのこと、父のことすら認識できていませんでした。
転院した当初は躁状態で、病院内で看護師や他の患者さんにかみついたり、罵声を浴びせたり、大立ち回りしていた時が今では懐かしく思います。
実の家族である私や父に対しても、罵声を浴びせたり、私のことを車掌さんとか言ったかと思えば、急に近くにあった物を投げつけたりもしましたし、父を目の前にして、ヤスジ(父の仮名)はどこ行ったかとか言ったりと、とにかく無茶苦茶でしたね😅
そんな母も認知症が一気に悪化し、今では食べる行為すら忘れてしまい、鼻から流動食を取るようになり、寝たきりの廃人状態になってしまいました。
それからすぐに新型コロナウイルスが流行し、それで面会謝絶となり、今回会うのは半年以上ぶりで、しかも至近距離でとなると、1年ぶりになるかと思います。
正直、前回会ったときに私も父も認識していなかったのと、南の反応も示さなかったことを記憶していましたので、さらに衰えてしまっている母の姿を想像していましたが、病棟の入り口付近で作られたアクリル板越しに見た母は、父と私の顔を見て、反応してくれました。そらはまるで私たちのことをわかっているかのようでした。
そんな母の姿を見て、私は目から込み上げそうになる涙を必死に堪えました。
また、体を動かそうとしたり、何か言いたそうに萎んだ口を動かしたりして、それを見た父も嬉しそうに母に話しかけている姿を見て、想像とは違った面会に安堵せずにはいられませんでした。
父が以前、母は俺やお前の顔を見れば、きっとわかるはずだ、血の繋がりはどんなものより強いんだからと言ってたのですが、そのときはいくらなんでもそれは非現実的だと内心思っていたのですが、今回の母の姿を見て、父の言葉は間違っていなかったのだと思いました。
血のつながった親子や家族だからこそ常識では図れない何があるんだと思わずにはいられませんでした。
面会はまだ予約制で基本的には平日しかできないとのことでしたので、なんとか仕事の都合をつけて、また面会の機会を作らなきゃと強く思いました。